患者様レポート

オーソモレキュラー医学会

● 統合失調症(30歳、男性、東京都、就業、納税中 文/本人)

 大学時代、部屋で勉強していると、声が聞こえ始めた。上に住んでいる人が何かの声だと思っていたが、どうも自分のことをしゃべっているみたいだった。彼は選ばれた人間だ、などと。
 どうも私はこの声を実際に存在するものだと捉えていたみたいで、幻聴だとわきまえることが出来なかった。一度映画の主人公を観て自分はこうあるべきだと思い込み妄想していた。不思議に人々から聞こえていた声も自分のことをその主人公だと思うようになり世界中の人間が、この幻聴の声が、私がその映画の主人公だと喋り始めてきた。女性が歩いて来ると映画の主人公だ、などと聞こえる事もあった。
 ただこの声はいつもいい事を言っているわけではなかった。何浮かれてるんだ、などと聞こえる事もあった。あいつはやたらと偉そうだと聞こえる事もあり他人に対して外で怒る事もあった。幻聴が原因で喧嘩になることも何回かあったが誰か必ず止めに入っていた。一度、地下鉄の中で私の目の前で髪の毛をセットしている人がいて私はそれが気に食わなく彼を蹴っ飛ばしてしまった。彼が私の存在に全く気付いていないように見え、平気な顔をして髪をいじくっているのが気に食わなかったのである。たび重なるいやな幻聴も原因でストレスもたまっていたのだと思う。
 イライラも頻繁にあった。原因は声にあったと思う。車の音などにコントロールされているように感じ発狂することもあった。また、ある一定の人間を敵と思うこともあり発狂することもあった。
 自分の中で作られた世界が、現実と錯覚してるようだった。現実世界と幻覚世界が同時に起きているために見極める事が出来なかった。幻聴とは思えず何かこの世の秘密を知っているように思っていた。その秘密がこの声だったようだ。聞こえる声、この声が実際に存在する人の心の中に反映する事もあり現実だと思っていた。
 CD、テレビなどからも声が聞こえてきて何か私のことを喋っているようだった。朝起きてニュースをつけてみるとアナウンサーが、“今日一日は彼のためにあります。”等と聞こえる事もあった。私はこういう言葉を信じ、 反する人間に対して頻繁に怒ったりした。
夜は声に苦しまされた。だから家に帰るのが或は居るのが嫌だったことは頻繁にある。外出したり、楽しいことをしている時は声も楽しかったりする。或は聞こえなかったりする。
 何か自分がポジティブだと思う環境にいる時はこの声はどこかに消えていた。多分私は幻聴、妄想などに悩まされていたことが原因で、スペース、自由な環境みたいなものが欲しかったのだと思う。
 イライラが激しく苦しいこともあったが、私はこの声を楽しんでいる時もあった。独りで意味なく爆笑することもあった。しまいにこのイライラにより人を殴ってしまい病院に閉じ込められた。この声により人を殴ることはこの前2‐3回あったがたまたま、幸いなことに病院には入れられずにいた。
病院での生活は地獄であった。きれいな空のそとに出ることも出来ない。病院にいる人間も嫌でしょうがなかった。ただ、声が薬によって少しずつ抑えつけられている様だった。イライラも多少感じたが薬がそれを抑えつけている様だった。声とイライラが段々と消えていく様だった。
 3カ月入院し退院した時、私は暗かった。死人の様だった気がする。喋るにも言葉を発するのが上手く出来ない。やたらと眠い。入院中スポーツも一切させてもらえなかった。だから太った。腹もビールを飲んでいたわけでないのに凄くふくれてる。
 差別ではないが身体障害者になったような気分だった。普通の人間として生きている事が感じ取れなかった。退院して数カ月後、ホッファーの診断を受けるチャンスに恵まれた。
 ホッファーの診断を受けビタミン治療を始めて以来2年以上経つが退院した頃の自分と比べるとゾンビーと普通の健康な人間を比べているようなものだ。
 仕事にもありつき自分は何があっているなどという事も確信してきた様だ。社交面でも友人達も増えた。今でも昔あった妄想的なものが現実に見えることがある。こう言うとき私は心にあること何もかもをEメールに書きホッファーに相談する。
 最近であったが、全く見知らぬ人が私の顔を見るたびにあくびするという事が頻繁にあった。偶然の重なり合いだったのだが私は現実社会に対して困惑した。この事についてだけでなく、何が心の中にあるわだかまりをEメールでホッファーに相談してみたところ統合失調症を経験した人にこのような症状は頻繁でありビタミンを増やすよう指示してくれた。薬物治療を増やすべきかも相談したがビタミンだけで良いと言われた。
 ビタミンを増やしたところ元にもどった。
 こう考えてみると、単にこの幻覚世界を病気と名付けるのは難しいとも考えられる。ただ個人の価値観の違いだと思うが、この一般と異なった自分の価値観、世界観自体が何かの病的症状なのかもしれない。
 統合失調病患者には違う世界観があり、この様な症状というべきか現実とのギャップはどこか存在するように思われる。心にある物は閉めておくべき事ではなく、手紙でも良いから外に出すべきだ。
 病院は患者を薬漬けにするだけで症状を止めることは出来るが患者に人生を与えないと感じる。今でも私は月一回、注射を打ちにクリニックに行く。薬の量は一月にたったの50㎎である。クリニックで全く脳が活動していないような暗い顔をした患者をよく見る。前、入院していた病院はもっとひどく患者全員が死人のような顔をしていた。ゾンビ達と生きているようだった。ホッファー先生は患者に生きる喜びと希望を与える努力をする精神科医である。日本では薬漬けにするだけでこの様な方針はとる医者はまれだ。
 退院後2年半経ちホッファーのビタミン治療を受け始めてから約2年と3カ月経つ。ビタミン治療を始め約6カ月後に就職し一度転職した。外資系の金融のトレーディングルームに携わった。緊張感のあるとてもストレスのかかる仕事であったが上司に頻繁に馬鹿野郎と皆の前で怒鳴られても頭には来たが耐えることが出来る状態にあった。最近、会社のリストラの事情で退職はしたがとても良い経験になった。
 私にとってこのビタミン治療と月1回の最小限の薬物治療はとても役だつ。症状みたいな物はたまに経験するがより自分の体、或は脳の機能について理解するようになった。特にビタミン治療は私を元の人間に、機能しない状態から戻すのにとても役立ったと思う。今でも1日3回飲むがそのたびに元気になり脳がフル回転するように感じる。
 退職してから約1カ月経ち、休養も取れたように感じる今、私はまた同じ金融業界に携わることを望んでいる。
(30歳、男性、東京都、就業、納税中 文/本人)


● 完治を目指して(22歳、女性、大学3年生、就職活動中 文/本人)

 私の病気は今考えると高校3年の頃にすでに始まっていたのかなと思います。受験シーズンになって全てにやる気をなくし、何故か益々記憶力や思考力が低下し勉強が頭にははいってこなくなり、希望の大学に入れず結局今の大学に通うことになりました。又、運転免許習得に時間がかかり、習得してからも道が全然覚えられず家族にバカにされ、自分の変化に戸惑っていました。大学に入ってからすぐ彼ができましたが、彼の何気ない言葉一つ一つに深く傷つき、頭が混乱し、彼を避けるようになり付き合うことが出来なくなりました。何故か彼の事が怖くてどうしたらいいか解らなくなっていたのです。そして、だんだん物事も一つのことしか目がいかなくなり、友達との付き合いも重荷に感じ自分の決めた友達以外あまり話さず、昼夜も一人で食べることが多く孤独な日々を過ごすようになっていました。この頃から考えがまとまらず、同じことを気に病み、気分の浮き沈みがひどくなったように思います。そのうち周り全ての人に恐怖心を感じはじめ、家族に気づかれないように毎晩のように泣き、ひどい頭痛に悩まされながら、それでもバイトやクラブをこなす忙しい生活を送っていました。そして年が明け、いつのまにか幻聴が聞こえ。妄想が始まっていったのです。
 見張られている、バイトでいじめられている、近所の人から悪口を言われている、ストーカーに狙われている、他人とテレパシーでつながっている等、周りはいつもにぎやかで、同級生B君が側にいて話をするようになっていました。B君と私の家はつながっていると思っていたので、私は毎日大事な物の隠し場所を変え、部屋を片付け、行儀よくしていました。お風呂やトイレにまでついてくるのは嫌でしたが、それでもゆかいで、楽しく、早く自分の部屋で、B君やみんなと話がしたいと思うようになっていたのです。母に突然、「何がおかしかったの?」と聞かれ、B君の話がおかしく笑ったこと今まであったことなどを伝えました。母にはそれら全てが聞こえないことだと知り驚き、母が病気になったと本気で心配し泣いてしまいました。次の日、母の付き添いで父と精神科を受診したつもりが、実は私の診断だとわかった時は、本当に驚き、信じられませんでした。私は診察の時、母を助けてほしいと主治医にテレパシーを送っていたのですから・・・後から聞いたのですが、母はずっと私の様子が変だったのでかなり注意をして見ていたようで、クスッと笑ったときは直感で普通ではないと感じたそうです。
 そして、精神科の先生に「統合失調症」の可能性が高いので6カ月様子を見ましょうと言われスルピリドー日300㎎処方されました。服用2時間たった頃から、幻聴が激しくなり、幻覚まで見え、泣き、笑い、錯乱状態になり、目がさめると周りは静かで、B君の声がはっきり聞こえなくなり、私はボーと時間が止まったようになっていました。起き上がれるようになると今度は体が重く、頭痛や肩こり、イライラ感、むかつき、手の震え、生理不順、便秘、視力低下等で苦しみ、中でも一番辛いのが座っているのも困難なイライラ感で、何度も暴れたくなる衝動を必死で我慢し、体も頭も壊れて行くようでした。両親は私が笑ったその夜からインターネットでこの病気のことを調べ、残酷で苦しい病気であることを知り、嘆き悲しみ、何かよい治療法があるのではないかと幾晩も探したそうです。そして「ビタミンB-3の効果」という本を見つけ、そこに書かれていることを私は発病(精神科受診)から2カ月後には実践していました。イライラ感と手の震えはとまり、副作用止めの薬を一度も飲むことはありませんでしたが、その後も悪夢や倦怠感、やる気のなさ、何を見ても面白くない、時間が止まったような状態になったりと寝たり起きたりの生活はつづきました。何度も胸をしめつけるような苦しみが襲ってきて、生きているという実感さえも湧いてこない、むなしい日々が続き、「死ねたらいいのに、生きるってつらいな~」と暗く長いトンネルをさ迷っていたのです。3カ月過ぎた頃には、少しずつ学校へも通えるようになったものの、授業を受けても内容が理解できず、また友達の会話にもついていけず、さらに体重も増え、体が重く教室移動がやっとで、そんな自分に傷つき、落ち込むばかりでした。
 しかし、そんなひどく落ち込む時はセロトニンをだすため、太陽の光を目にいれるよう窓辺に座り、頭痛がすると蒸しタオルで頭を緩め、一日一回30分でも母と外出し、屋外でのんびり過ごし、調子の良い日はドライブに出かけ、家族みんなが私の喜ぶことをして支えてくれました。
 そして、オーソモレキュラー治療の方は食事指導、ヒスタミン検査、HODテスト、毛髪検査、交換神経と副交感神経の検査を行い、**クリニックの**先生に「時間はかかりますがよくなりますよ。」と言われ。さらに、統合失調症というより、何らかの原因で神経症になった可能性があると診断され、その原因を見つけるため、一般の内科検査、肝臓の解毒機能、腸管もれ、アレルギー検査を行い、その結果私の神経症の原因は、肝臓の解毒機能が弱いこと、腸管からの漏れがあること、銅の値が高いこと、低血糖症や若干の食物アレルギーがあること等が考えられ、それらをたたくべく完治を目指す治療を始めました。夏休みに入り、ずっと休みがちだったクラブも友人達の支えで何とか参加できるようになり、それが自信となり自然と気持ちも明るい方向に向き、会話のテンポは鈍くても友人と出歩けるようになってきました。それまでの雲の上を歩いているようなフアフアした感じから、自分の考えが自分の言葉で表現でき現実を実感し始めたのは、この頃からだったように思います。只、治療の方は、サプリの摂取量を徐々に増やすにつれ、だんだん気持ちが悪くなり、ついに嘔吐し、苦しく飲めなくなっていました。しかし、**さんがアメリカのゴードン医師に相談され、「肝臓の解毒機能が弱いからではないか。」ということで、無理のない量の摂取で治療を継続出来るようになりました。
 秋頃には、私は精神科の主治医から「一度は薬をきってみましょう。初診時のカルテに統合失調症の疑いがあると書きましたが、その後条件をみたしておりませんので、病名は心因性の神経症です。」と言われ、スルピリドー一日100㎎まで減薬されました。又、大学と並行して資格習得の学校へも通い始め、全てに自信をなくし後ろ向きの自分を払拭するため「今出来ることを少しづつでもやっていこう」とやっと一歩踏み出せるようになりました。そして現在、私は精神科の指示でスリピルド一日25㎎となり、オーソモレキュラーではRNA治療も済ませ、3カ月後に銅の除去を行い、その後断薬する予定です。まだ、過睡眠気味ですが、薬が減るにつれ体や頭が軽くなり、人とのかかわりも多くなり学校生活を楽しめるようになっています。又、視野が広がり今までみえなかったことが見え不安も大きくなっていますが、現実を現実としてうけとめられるようになりました。
 私は病気になり、初めて病気で苦しんでいる人の気持ちがわかり、当たり前のことだと思っていたことが実はそうでなかったことや、現実(病気)を正面から受け止めることの大切さ、何事も諦めてはいけないこと、家族の絆等、多くのことを学びました。今の私の夢は病気を完治させ、一人前の社会人になることです。その夢を叶えることが、今まで暖かく支えてくれた家族やお世話になった皆様へ最大の感謝の気持ちだと思い、あせらず頑張っていこうと思っています。そして、最後にこんな私でも同じ病気で苦しんでいる方に少しでもお役にたてればと、勇気をだして闘病記を発表いたしました。
(22歳、女性、大学3年生、就職活動中 文/本人)


● 投薬、ビタミンに重金属解毒を経験(25歳、男性、東京都、大学生 文/母親)

 現在、26歳になったばかりの男子です。18歳半で発症しましたので、7年の病気期間があります。ビタミン療法を北原さんより教えて戴いて、始めたのは今年の1月です。3カ月しないうちに効果が表れました。のんびりと大学生活をしていたのですが、頭はぼんやりとしていて授業もついていくのに大変な様子でしたが、頭がはっきりしてきて、友人までできました。そして6か月後の今年、6月、有害重金属解毒を北原さんにすすめられられ、始めました。この療法は、1日3回、1回10個以上のビタミンを飲むのですから大変でした。3か月間、途中で挫折しそうになったりもしましたが、なんとか終了させることができました。3か月後の9月、また一段、回復の度合いが上がっていました。
 9月中旬より、一人暮らしを始めました。現在まで2か月間、快適に暮らしている様子です。料理をつくり、薬とビタミンを飲み、親から離れて自立した生活をするための一歩を踏み出すことができたのですから驚きです。
 1年前、予想することもできなかった、良い変化が起こりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
(25歳、男性、東京都、大学生 文/母親)


● 統合失調症治療、投薬からの離脱、社会復帰
 (32歳、男性、千葉県、アルバイト、社会復帰訓練中 文/母親)

サプリメントを始めた経緯
 33歳の息子です。21歳の浪人中に幻聴がありました。大学入学後下宿生活を始め、7月、サークルの練習中に錯乱状態になりました。
 3週間ほど入院しました。診断名は「分裂性反応」でした。幻覚(幻視)がありました。11月に大学を辞め、翌年4月に予備校に通学。8月に調子が悪くなりましたが、入院はしませんでした。この時はうつ状態で、自分の眉毛や手足のうぶ毛を剃り落とし、アルバム、本などを燃やしてしまいました。翌年、希望の大学に入学。
 4年次にはだんだん調子が悪くなって、単位も足りませんでした。卒業前の11月に、ハローワークで見つけた病院(精神科)の仕事を始めましたが、2か月ほどで解雇されました。仕事中の喫煙とテレビを見ての高笑いで、病気がわかってしまったのです。
 大学は4年通いましたが、中退しました。サークル「聖書研究会」には熱心に関わっていました。翌年の10月頃就職の面接疲れと緊張で、妹とトラブってその夜11時過ぎ、妹に対して傷害事件を起こしました。パトカーと救急車のお世話になったのです。妹の頭の傷も深部までにはいたらず、大事には至りませんでした。息子は措置入院しました。4カ月ぐらいの入院でした。その後、薬の種類も量も増えていき、CP換算値で3300㎎、4人分に相当する薬になりました。32歳の頃、病院のデイケアや地域生活支援センターに通うようになりました。
 平成15年7月、カナダ統合失調症基金日本友好支部の第1回のセミナーに友人に誘われて参加しました。その後、何回かのセミナーに参加しましたが、息子の調子が落ち着いていたので、サプリメントの必要性を感じていませんでした。
 平成15年の12月末に、HODテストをうけました。これは、ホッファー博士とオズモンド博士が共同開発した145の質問からなる心理テストで、知覚、妄想、抑うつなどの症状がわかるようになっています。このテストの結果が悪かったので、サプリメントの摂取に踏み切りました。

サプリメント摂取の経過
 平成16年1月からビタミン治療を始めました。2、3カ月して息子の話し方がしっかりしてきました。以前の電話口での話し方は空気が漏れているような、しまらない喋り方でした。4月頃よりサプリメントの種類も増やしました。顔つきがひきしまって、思考の回路がつながった感じがしました。
6月頃、2度目のHODテストで知覚などに改善が見られました。自律神経機能検査も受けました。相当なストレス、緊張が神経にかかっていることがわかりました。毛髪検査では、必須ミネラルの数値が低く、バランスが悪いという結果がでました。
 サプリメントの摂取で、息子の状態も落ち着いていたので、7月頃よりセカンドオピニオンで実績のある先生のクリニックに月1回の受診で、薬の減量に取り掛かりました。その前4月頃より就寝前の2種類の薬を順番にとってみましたが、眠れていました。
 それから最近ちょっと面白い経験をしました。「血液映像チェック」です。これは小指からほんのわずかの採血を顕微鏡で見て、その場でスクリーンに映像化するのです。息子と私とこのチェックを受けてみました。
 息子の血液が非常に汚れていることが一目瞭然でした。「ヒトデ」のような「ゴミ」が浮いているのです。このようなドロドロの血液が脳までいくのですから、脳の機能がベストの状態でないのもわかるような気がします。活性酸素や脂肪、ビタミンC,水分なども映像化され、普通の問診だけでは発見できない、生活習慣が分かってしまうのです。本当に驚きです。これは予防医学の見地からも注目されるべき検査方法であると実感しました。

サプリメント摂取の結果
 いろいろな検査の結果、食生活の見直しを再認識しました。食べ物で取り切れない栄養素をサプリメントで補いながら、正しい栄養療法で生化学上のアンバランスを改善し、最小の投薬と最小のサプリメントですむことを期待し、かつそのようになることを信じています。
(32歳、男性、千葉県、アルバイト、社会復帰訓練中 文/母親)


● 統合失調症からの回復(17歳、男性、東京都、学生、社会参加訓練中 文/母親)

 高校1年で中退し、アルバイトを始めた息子は徐々にバランスを崩し始めました。思春期特有の悩みだろうと思い、とにかく良く話を聞き理解に努めましたが息子の行動はどんどん不安定になり昼夜逆転が増え、話の内容はころころ変わって一定せず、感情、行動の不安定さは加速。4~5カ月間が経過した2004年4月、異常・とっぴな行動はもはや精神の異常を疑えず、家族での保護も限度を超え精神病院にやむなく入院させました。入院して保護室に入り大量の薬剤が投与されました。精神科医・看護士、共に良い方が多く、丁寧な説明と看護は受けましたが、「総合失調症」は一生薬を飲み続けなければならないだろう事や人によっては社会復帰も難しいと話され、前途は真っ暗という感じでした。薬の御蔭で異常な興奮状態は治り、普通の会話も徐々にできるようになってきましたが大量の薬による脱水症状・のどの渇きとひどい便秘・若干の歩行障害・手の震え、あごの弛緩等、薬の副作用も多々ありました。電気痙攣療法も受けて大分意識が戻り、外泊許可が下りてから息子は多淫を強く希望しました。このまま入院させていても、閉鎖病棟で薬の投与を受けるだけの状態ではこれ以上の改善は見られないと判断し、主治医に頼み込んで入院期間1カ月半で退院させました。
 異常な状態は治まったものの、強い薬のせいで感情の起伏も思考力も殆ど無く、手の震えや足を引きずる歩き方、一日をボーっとして半分以上を寝て過ごす姿に「これで治ったと言えるのだろうか?これで生きているといえるのだろうか?」と切なく思いました。
 投薬治療以外の方法がないものかと、探していたところ、カナダのエイブラムフォッファー博士の精神正常生体分子栄養学=オーソモレキュラーをインターネットで知りました。カナダ会のオーソモレキュラー説明会に参加し、フォッファー博士の執筆された本を読み、理論にとても納得したのですぐに始めました。まず初めにHODテスト、自律神経の検査、毛髪検査を受けました。HODテストは総合失調症か、他の精神疾患か、正常かを簡単なイエス・ノー形式で調べるものですが、退院直後は明らかな統合失調症で幻覚・幻聴の数値が高く出ていました。自律神経検査では(過度な緊張で)40歳代の神経の状態だといわれました。九段クリニックの阿部先生の診察・処方を受けてサプリメントを飲み始めました。退院当初7種類の精神薬が出ていましたがそこにサプリメント9種類が加わりました。食事は元々、無精製の穀類・野菜中心で電子レンジ、白砂糖は使用せず、加工食品や甘いもの・間食・ファーストフードも殆ど食べないので息子の場合は低血糖は考えられません。勿論、食事による感情の変化もありませんでした。デトックスの北原さんにはオーソモレキュラーの進め方として、薬は絶対にやめずに、しばらくサプリメントを併用することや、どう薬を減らしてゆくのか、色々な事を教えて頂きました。
 息子が昼の12時を過ぎても起きられず、起きても1日中唯ボーっとしている旨を相談し、睡眠薬であるソラナックスをまず止めました。ソラナックスをはずしただけで息子は朝起きることが大分楽になり行動も軽くなりました。精神科の主治医は「とんでもないことをする!!お母さんは病気を知らないから病気を軽く見てそんな事をするのだ!」と不満、あらわでした。「責任は私が取ります。万が一再発しても先生のせいだとは言いません。」「・・・お母さんが責任を取るということならいいでしょう」主治医はしぶしぶ承知してくれました。薬を減らしていく順序を聞き、主治医から指示が出る前に私が息子の様子を見ながら少しづつ実験して減薬してゆきました。薬をひとつはずすたびに息子は軽くなり、行動やの意欲と感情の起伏が戻ってきました。退院直後の息子は大声を上げて笑う事ができませんでしたが、笑い声を上げられるようになり、自分から外出をする頻度も徐々に増えてきました。退院して3カ月目で退院時の半分以下の量に薬を減らしましたが不安定にはなりませんでした。サプリメントを飲み始めて効果が出るまで早い人で3カ月から半年と聞いていました。
 徐々に薬を減らしていても様子を細かく見ているし、サプリメントを飲んでいる、という安心感がありました。精神科の主治医は減薬に協力的な面もありましたが、全人格的な面で治療を捉えているとは思えなかったので、Y先生の診察を受けました。Y先生は薬は減らす実験をしてきたことを伝えると、開口一番「そりゃいいことだ!どんどん実験したほうがいい!薬は最低量でいいんだ。何かしたいことある?何が好き?人間楽しみが先だよ。何か遊びたいことをするといい。河原で焚き火?ほーそりゃぁいいや 是非やってください。仕事や勉強なんか、そのあどだ。人間、遊びたい気持ちが出てくることが、まず大事だよ。」と話され、同じ精神科医でもこんなに違うんだ!と驚きでした。そして元の主治医には手紙を書き、治療への正直な気持ちと疑問、又これまでのお礼を述べ、今後はY先生に診て頂く旨を伝えました。元の主治医は治療の際に息子の体に触れる事は一切無く、病気であり続ける事をさぐるような問診でしたが、Y先生は息子の腕を取って筋肉が薬で硬直していないかどうかを確かめ、震えが改善されているかどうか毎回名前を書かせて調べ、会う度に「焚き火はやってる?」と聞いてくださいます。「精神科医は患者が選ぶべきだ」と著者の中でおっしゃっておられますが、Y先生に出会えて本当にそのとおりだと思いました。多くの精神科医の先生方が(治療への熱意からなのはわかりますが)多種多量の薬剤を投与し、症状を抑えることが治癒だと思っているかのようです。食事や運動、生活や行動への意欲、個々人の様々な創造活動と治療は全く結びついていないかのようです。そして薬剤投与以外の方法に余りにも無知・不勉強であるうえに保守的だと思いました。医師の世界のなかでの権力闘争や保身・自己頚示の現れ、製薬会社との関連、などが患者一人一人を本当の意味での回復に向ける「人間としての人生と病気を捉えるまなざし」を曇らせているように痛感しました。息子との同期に入った患者さんが息子の退院時には大量の薬で入院時よりも悪い状態である事も目にしました。精神科の看護士の方と知り合う機会がありましたが「日本の精神医療は20年遅れている。現場で疑問に思うことが多々ある。精神薬の副作用のことも再発を恐れるあまり深刻に取り組んでいないし、長期入院による余病の啓発や内臓疾患への見識が薄すぎる 気付いたときには実は手遅れであることが無いとはいえない・・・」と現場にいる立場で現在の精神科医療に大きな疑問を持っていることを話してくれました。ですがその方は異なる視点から精神科医療改革の希望を持ち、オーソモレキュラーやカナダ会・八木先生に興味を持たれ、それらの新しい治療が現場に取り入れられないものかと勉強・模索し始めておられます。
 4月半ばに入院、6月1日に退院し、7種類だった薬は徐々に減らして10月末には2種類、12月からはリスバタールのみ。1月末にHODテストと自律神経の状態を再検査しました。(サプリメント療法を始めて丁度半年です)HODテストの値はほぼセロ。統合失調も他の精神疾患も何も見られない状態となりました。勿論幻覚妄想指数もゼロです。自律神経の方はまだ神経過敏気味ですが、これは息子の質でもあるようなので、徐々にずうずうしいことも平気でできるようになるくらい気長に見ていこうと思っています。発病、入院から1年経過した4月現在、リスパダール1日2ミリ(夜のみ)サプリメント療法は2004年7月からで10カ月継続中。サプリメントの量は少しだけ減りました。
昨年末より単発のアルバイトもやり始め、無理をしないで自分のペースで仕事を選んで不定期に続けています。合気道、アフリカンダンス、と体を動かす事もやりはじめ、お友達も増えてきた現在です。又以前より精神的なストレスにも強くなりました。

《他の療法》
 母親である私は東洋医学、整体、ヨガ、色々な癒しの手法、ボディサイコセラピー等を学んできた中で、心と体は不可分ではない事、病気やトラブルは体からのメッセージであるこという認識を持っています。なので発病当時、「精神分裂・狂気」というような状態は魂にとってどうようなことが起きているのかが一番の疑問でした。
 「魂も狂ってしまうのか」と。息子の発病を心から心配してくれた勉強仲間の友人が信頼できるチャネラーの方、「アクア」を紹介してくれました。すぐにセッションを受け、精神疾患が人間のオーラ(エネルギーフィールドにおいて)にどのようなことが起きているのか詳しく教えてもらいました。簡単に言うと感情と知性のせめぎあいからオーラの層が乱れ、混乱してゆきます。薬はオーラ層の乱れを修復はできないけれどエネルギーの動きをとめる働きがあるということを教わりました。入院中の息子に母親である私をとおしてエネルギーレベルでの働きかけをする事や発病の原因をチャネリングしてもらいました。その情報は発病に至る息子の葛藤をスピリチュアルなレヴェルで解き明かしており、具体的なエネルギーレヴェルでの働きかけも入院中の息子の病状を大きく変えました。その方からホリスティック医学協会の医師をご紹介頂きそちらにもすぐに出向きました。
 「Kクリニック」Y院長先生は保険診療の他に、ホメオパシーや波動水、フラワーエッセンスをそのときの患者の状態を診て処方してくれます。Y先生は「癒し・人間存在そのもの・宇宙意思」といったような事柄まで超広範囲な知識・見識をお持ちで、西洋医学のお医者様としての力量に加えて、ホリスティックな癒しの知識+治療技術をお持ちです。入院中は母親である私を波動測定し、私をとうして息子への波動治療をしてくれました。息子が退院したその足で山本先生の元を訪れましたが、息子を見て「大変だったね。ご苦労様。統合失調になる人は大変な人なんですよ。世の中のパイプの役目をして浄化を引き受け、沢山の人を助けているんだよ。大変な役割を引き受けた君はとても尊い存在ですよ」などなど、それまで治療をしてくれた精神科の医師とは全く異なる大きく宇宙的な見方で息子の状態を診察し、必要な治療を施してくれ続けています。退院した息子はまずこの言葉に大きく助けられました。また精神疾患になるほどの心の悩みや葛藤、息子からの色々な質問にもY先生は逐一丁寧に答えてくれます。Y先生の宇宙的な精神サポート+ホメオパシー、波動水、フラワーエッセンス等の治療と、アクアでのチャネリングによるスピリチュアルなレヴェルでのメッセージとサポートは息子の悩みや葛藤をとても大きな視点で支え続けてくれています。
(17歳、男性、東京都、学業、社会参加訓練中 文/母親)

● 統合失調症からの回復手記
(17歳、男性、東京都、学生、社会参加訓練中 文/本人)

 私は2003年の12月頃から統合失調症の兆候が表れ始め、徐々に精神的に不安定な状態になっていきました。この手記を書いている現在は病気は殆ど回復しています。いろんな人から重症だと言われていたにもかかわらず、発病後一年と五ヵ月ほどで正常にもどりました。病気が回復していく過程で、私は身体的に病気 を治す治療と心のケアの治療の療法をやってきました。どちらの治療も私にはとても効果があり、病気の回復を助けてくれました。他にも統合失調にかかっている方やそのご家族の方の参考になればいいなと思い、これを書きます。
 私はもともと統合失調になる要因のようなものをもっていました。それは深く物事を考えすぎる所や、自分の感情を押し殺してしまう所、などがあげられます。おもに、自分の欲求と現実がかみ合わないことや自分の欲求を抑え込んでしまう自分にストレスや不満を感じ、その不満が限界に達したときに病気という形でガス抜きがありました。現実的には友人関係のいざこざ、恋愛関係のいざこざ、バイト先との相性の悪さ、などから多大なストレスを溜め込みました。形は人それぞれだと思いますが統合失調はストレスが大きくかかる人がなりやすいように感じます。自分の思いと現実がかみ合っていない人、自分の感情や欲求を抑圧してしまう人、感受性が豊かな人、ストレスに弱い人、心の中に溜め込んだ感情がある人(少し抑圧と重複しますが)という人達が統合失調にかかりやすい気がします。単に私の体験からの推測です。
 統合失調は心の解放だと私は感じています。自分が今まで表現したくても表現できなかった思いや、心の奥底にある願望、心の中に溜め込んだもの、それらが一気に爆発したのが私の場合統合失調でした。なので今思えば、私が病気中に見た幻覚幻聴は自分の願望や心に溜め込まれた感情などが形になったと思えるものばかりでした。
 私の病気の時の様子を少し書きます。私に少し病気の兆候が現れ始めたとき(まだ父も母も私が病気だとは知らないときです)母と箱根に行ったのですが、大涌谷という硫黄ガスが吹き出ている箱根の名所で、いきなり母といるのが嫌になって、雪が残る大涌谷で失踪しました。立ち入り禁止の硫黄の噴出孔の辺りを彷徨いそのまま勝手に走って宿に帰るという異常な行動をとりました。 そこからが大変でした。深夜に町を徘徊したり、自分の部屋を壊したり、勝手に電車に乗って知らない町へ行き、錯乱状態になって警察に保護されたり、ナイフを持ち歩いて鑑別所に一週間入れられたりと異常な行動を繰り返しました。この頃の私は町を徘徊していると、周りの関係のない人たちが自分のことを知っていいて、噂をしていたり、自分についてきていると思っていました。幻覚幻聴が激しく、ありえないものが見えたり聞こえたりしていました。これらの行動をとった時の私には、私なりの思惑があり、私なりの理由がありました。勿論病気なので頭はおかしいのですが、病気ででてきた症状は全て私の心に則したものでした。箱根の大涌谷で母といるのが嫌になったのは、母に対する不満や怒りが今まで表現できてなかったものが、噴出したものです。ナイフを持ち歩いたのも、もっと自己主張したい!強くなりたいという思いの表れです。幻覚幻聴では、私と無関係の人たちが皆私のことを知っていて、テレビやラジオは私をもてはやし、町を歩けば皆ががんばれ!と私を応援してくれているように錯覚していました。これは私の願望でしょうね。逆に赤の他人が私の悪い噂をしてる・・・と錯覚する統合失調者もいらっしゃるようですが、それはその人の中にある‘他人は自分を悪く思っているんじゃないか’という誰にでもある被害妄想が、本当に悪い噂をされているように錯覚してしまうほど、コンプレックスや恐怖を心のどこかが持っているからそうなるのかな?と感じました。
 私に病気になる理由はあっても異常な行動は異常な行動なので、病中の私の行動に限界になった父と母が私を都立松沢(精神)病院へ入院させました。「統合失調症」と診断され、麻酔を打たれて即入院でした。まず鍵のかかった個室に入れられて、精神薬の多剤大量投与をされました。入院当初はいろんなものと交信していると思い込んでいて自分がどこにいるのかにすら興味を持ちませんでした。薬のおかげで徐々に病気の症状が落ち着き個室からでて、他の患者さんたちのいるロビーに出してもらえるようになりました。そして、母と父とも面会できるようになりました。しかし、母との面会中変なことを言い出したり、母への恨み言を言ったりすることが何回もありました。母はそれに根気強く付き合い、私を理解しようとしてくれました。 父は私に付き合って疲れた母を励まし、私の入院している東京の病院に長野からしょっちゅう通ってきてくれました。病棟のなかでは仕方のない事ですが、父母の面会時にしか外に出れないことや、娯楽の少なさ、薬の副作用で脱水症状になったこと、病院のなかにいるという緊張からくる強い便秘、意識が正常に戻ってきたのに、周りに(少なかったですが)とても普通の人間関係がとれないような怖い患者がいること、などに嫌気がさしました。もちろん病棟の中にはすばらしい医師の方やスタッフの方がいましたし、卓球ができたり、トランプがあったり、仲良くなった患者さんたちとの楽しい交流もありました。ですが、やはりあまり自由のない病棟での生活や体の不具合に嫌気がさしていました。なので入院一カ月半後、だいぶ病気の症状が落ち着いてから父と母に、「自分はもう正常だから家に帰してくれ」と頼みました。それを聞いた父は、私の退院を渋る担当医を説得し私を病院から出してくれました。私は病院の中で同じような苦しみを抱える患者さんたちと仲良くなり、思いを分かち合いました。退院の日、患者さんたちと病院のスタッフの方や先生方が暖かく病院を送り出してくれました。
 私が病院に入院している間に母と父は薬の副作用や、依存性の危険性を考えました。そして私の病気が完治できる方法はないかと思い、インターネットや人のつてで精神薬以外の治療法をいろいろと探してくれました。そして見つかったのがサプリメント療法、ホリスティック医学、チャネリングでした。まず母と父はチャネラーのSさんという方とホリスティック医学のY先生という方を見つけました。私が入院中に沢渡さんとY先生のところに足を運び、病気への新たな認識・理解と色々なアドヴァイスを受けました。そしてエネルギーレヴェルでつながりの深い母親をとうして入院中の私に波動水や光の治療を施しました。両親はSさんとY先生の御蔭で病気を更に理解することができて、精神薬だけではない治療の方法をまず見つけました。病気の人の家族の方の心がある程度安心感を持っていたり、癒されていることは必要だなあと私も思います。私が退院した後に、沢渡さんのところへ行き、私が病気になった理由等を見て頂きました。(チャネリング)Y先生には、ホメオパシーや波動水、フラワーエッセンスを処方して頂きました。ホメオパシーというのは植物や様々な物質を限りなく希釈しその物質の分子すら残らないところまで薄めて使います。物質の持つエネルギーで治すという感じです。Y先生には「病気になることはむしろ喜ばしいことで その人が苦労した分、後でいいことがある。統合失調症になる人は百人分の病気を背負う力がある。」等と、とても励みになることをいって頂き、病気を不幸と捉えず、幸福ととることを教えてくださいました。本当に助けられています。ありがとうございます。チャネラーの沢渡さんのところでは私が病気になった理由などをチャネリングしていただきました。私は心の悩みをいろんな心理療法、セミナーや自分の方法で解決しようと躍起になっていました。
 しかしその意気込みが逆に自分を追い詰めていたようです。そんな私に「あせらなくていい」と教えてくださるSさんには本当に感謝しています。Sさんのおかげで、自分を知る手助けを得ています。ありがとうございます。この二つの治療が功をそうしたようで、私の心はどんどん楽になり、精神状態が落ち着きました。まだこのホメオパシーやチャネリングを怪しいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも私は、Y先生とSさんにとても助けられました。 統合失調はストレスなどで脳内に酸化物質が過剰に分泌されることによって脳が錯乱状態になる病気です。現在私の統合失調症の治療法として身体的な面での治療法はサプリメント療法です。サプリメントの中のB3という物質が脳内酸化を抑え、ほかのサプリメントでそれを補ってゆくという形です。この治療法でずいぶんの数の総合失調症の患者さんたちが回復しています。私もサプリメントでほぼ完治しています。
会ったことはありませんが、治療にビタミンの導入を50年以上にわたって研究・実践されてきた精神科医エプラム・ホッファー先生に感謝します。サプリメントの処方をしてくださる九段クリニックの阿部先生、ありがとうございます。今精神薬の処方をしてくださるY先生はとても減薬に積極的で、ほがらかな人柄には安心させられています。ありがとうございます。精神病院を退院してから半年ぐらいでY先生に紹介して頂いた「水輪」というヒーリングスペースで、泊まり込みのワーク&スタディーというものに1カ月参加しました。水輪にいる方々には本当に暖かく接していただいきました。また掃除や日常の作業の中で自らのうちに静寂を見出すことなどを教えていただきました。
 私は精神暴飲で苦しんだことと、いろんな方から聞く話から思うのですが、日本の精神科医の出す精神薬は多すぎます。普通の精神科医は薬しか精神病を抑えたり治したりできないと考え、病気の再発を恐れて精神薬の多剤大量投与をします。なので、いつまでも精神薬を減らしてもらえない患者は薬の副作用で苦しみ、のちに死にいたることもあります。私の知っている限り統合失調症はサプリメントで良くなります。しかしそれだけでは不十分だと私は思います。精神病にかかった私も父と母も大変なストレスと不安を感じました。
 そんなときとても大きな視点からY先生やSさんは私や父母の心を支え、助けてくれました。精神病はその人の心の問題が原因で病気にかかるのですから、その心をケアしないと根本が解決されません。なので私は心のケアと体のケア両方をしています。私は両親に本当に助けられました。私の両親は精神科医に頼り切るのではなく、自分たちでもっと違う方向から病気を治し薬を減らしてゆくための治療を見つけてくれました。父は私が病気のとき本当に頼もしく私たちを支えてくれました。母は病気の私にも真正面から向き合い愛情を注いでくれました。ありがとう。
 私はこれまで本当にたくさんの人たちに助けられ、支えられました。私も父も母も統合失調という病気のおかげで沢山のことを学び、素晴らしい人たちに出会い、学びや勇気や愛をもらいました。本当に病気がもたらしてくれものは大きいと思います。これを読む精神病の方々やその家族の方々も決して回復をあきらめないでください。探せばなんらかの治療法は見つかるはずです。病気はつらい部分もありますが、それ以上にたくさんのことを教えてくれます。病気はたんなる不幸ではなく、病気になる人には病気になった意味があると思います。病気にかかった人もその家族の方も本当に大変だと思いますが、必ず、明るい道もあるということを忘れないでください。私たちはあきらめなかったからこそ、私はいまこうして回復しています。皆さんが病気をこえて明るい道を歩めるよう、祈っております。
(17歳、男性、東京都、学業、社会参加訓練中 文/本人)


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